東京大学 公開講座 2021 DAY1
今日は東大の公開講座(オンライン)に参加しました~!
自分なりの整理と、感想を書きます(*'ω'*)
ちなみに東大の公開講座は春と秋の年2回。
今回(2021年秋)のテーマは「繋がる」で、全3日間です。
要予約で無料です。
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1日目の本日は、「すべての人が繋がる」というプログラムで
①子どもたちは繋がれるか-インクルーシブ教育の課題と展望
②人と社会を繋いで超高齢社会を支える情報学
③人を理解し人をつなげるロボティクス
という3本立てでした。
講義題目ごとに書いていきます!(めっちゃ長くなった…)
「子どもたちは繋がれるか-インクルーシブ教育の課題と展望」
1つ目の講義は、教育学研究科 教授の小国先生による、インクルーシブ教育についてでした。
内容は、講義題目の通り、インクルーシブ教育の課題と展望についてです。
日本の学校で行われている"インクルーシブ教育"って本来あるべき姿とズレてない?
国連でいうインクルーシブ教育のイメージと、日本での実情の差があるとのことでした。
「インクルーシブな社会をつくるために、学校が地域の改革の拠点となる」ことが求められているのに、日本では学校教育の内で帰結してしまっている。
「精査、民族さ、経済的格差、能力格差などの差を埋める」ことが求められているのに、日本では障害のみに焦点が置かれている。
「社会におけるマジョリティの側が変わる必要がある」のに、日本ではマイノリティの側が障害の克服を強いられている。
日本ではインクルーシブ教育の視野が狭すぎるんですね。
特別支援教育の課題
日本における特別支援教育での課題についての話題もありました。
特別支援学校では、障害を克服するための医学的トレーニングに重点が置かれているらしいです。特別支援学校での写真にも、子どもたちがトレーニングルームで指導を受けている場面の写真がありました。
特別支援学校/特別支援学級/通級に通う子どもたちは増えている事実もあります。
これは一見良いことのように見える(個別のニーズに合わせられるようになった?)けれど、学校から排除されている子どもたちが増えているのではないか?という見方もあるとのことです。
そもそもインクルーシブ教育的観点で言えば、特別支援学校・学級・通級など、普通級と区別するのは誤っているわけです。
3つ目の講義でもお話がありましたが、こうして区別することで分断が生まれていくんですね。。
コロナによる休学で、子どもの自殺者数が増えてしまった
統計の数字から見ると、子どもたちにとって危険な場所は家庭より学校であるとのお話もありました。
昨年4月の一斉休校時には、児童虐待などが社会問題になっていることから、学校にいけないことによる悪影響を心配する声もありましたが、実際は休校明けのタイミングで自殺者が増加しました。
これは例年9/1に子どもの自殺が多いことからも分かっていたことではあります。
この教訓を生かしてほしいところですが…鉛のような重さの文科省…
学校教育が規律を重んじすぎている
アメリカで始まった教育方針であるゼロ・トランス方式(↓)が愛着障害の子どもにとって過酷な環境を生み出している、というお話もありました。
現在の学校教育では、ルールの順守が迫られすぎている実情があります。
例えば、「背筋ピン」「手は膝の上」「足は床にぴったり」「机の中やお道具箱の中はこのように整理すること」「~や~、~ができていない子は悪い子!」のような張り紙が教室内に貼ってあったり。。
まるで監獄内のよう。と先生。
学校の在り方が、社会的要因による障害(二次障害)を引き起こす原因となっているのでは、との指摘をされていました。
【先生が話されていたエピソードで衝撃だったこと】
アクティブラーニングの研修会での授業に行ったら、その日の授業の目標が「授業中の無言」だった。
アクティブラーニングとは、対話を中心とした学び方のことですが、その授業目標が無言って…矛盾オブ矛盾!
全国学力学習状況調査による弊害
学力と一番相関が高いのは親の経済力や地域性です。
これは松岡先生の著書「学力格差」にもデータ付きで載っています。
ただ、学校現場ではこの事実が言えないので「学力(学テの成績)を上げるにはどうしたらいいか」という議論になってしまっています。
その結果、学校によっては学テの過去問を解かせたりしてテスト漬けにするところもあるらしいです。
調査の目的とは。。
【これは知らなかった…】
福井県議会では、教育行政の根本的な見直しを求める意見書を可決したとのこと。
私自身、大学時代に教育を学んでいたころから学テの弊害は耳にしていました。
調査であるはずの学力テストが、競争へと化している実情があります。
学校が閉鎖的で排除的な空間となっている要因に、学テがあるという事実、恐ろしいです。
学校とはどうあるべきか
そもそも、インクルーシブ教育とは本来「インクルーシブな社会をつくるために、学校が地域の改革の拠点となる」というのがあるべき姿です。
インクルーシブ教育は学校だけで行うものではありません。
社会や人を繋げる「ハブとしての学校」への転換を。
旭川の件
講義の終盤に、旭川のとある中学校の動画を見せていただきました。
ある男子生徒が、障害を持ちながらも普通級に入った例です。
担任の先生は元々障害や特別支援教育に知見のある方ではなかったにもかかわらず、まさにインクルーシブ教育を実践していました。
最初は人と目も合わせられなかった彼でしたが、彼の存在が、周囲の生徒の学びとなり、彼自身も安心してクラスの一員として日々過ごしていき、最後には定時制高校へ合格したそうです。
動画には、高校入試対策として、他の生徒が支援しながら面接対策を行う様子や、文化祭でクラスメイトと出し物をする様子、高校入学後も元クラスメイト達と交流がある様子などがありました。
それで、衝撃だったのが、この中学校は旭川中学校女子生徒イジメ事件のあった中学校と5kmしか離れておらず、これがあったのが同時期だったということです。
同じ行政区内であっても、ここまでの差があり、逆を言えば、どこでもインクルーシブ教育は実践できるということです。
「人と社会を繋いで超高齢社会を支える情報学」
2つ目の講義は、先端科学技術研究センター 特任准教授である檜山先生による講義でした。
前半は、檜山先生が研究をしている内容について。
後半は、檜山先生方が研究開発をした、地域活動へのマッチングプラットフォームサービスであるGBERについてのお話でした。
geron-informatics
檜山先生は
geron(年齢を重ねる)informatics(情報学)
として、超高齢社会でICTを活用するための研究をされています。
講義中でご説明に使用されていた資料とほぼ同じものが、総務省の資料にありました。
https://www.soumu.go.jp/main_content/000621656.pdf
ICTを活用して、
身体的(Physical)側面および精神的(Mental)側面
社会的(Social)側面および個人的(Personal)側面
を軸に、高齢者をサポートし、社会参画の支援をしていらっしゃるとのこと。
超高齢社会の問題
そもそも、少数の若者層で支えようとするのは無理難題。
65歳以上の元気な高齢者(80%以上いるらしい!)を社会の活力として期待していないのは問題ではないか。
「働く」となると、企業側は「フルタイムで働けないなら正社員はダメ!」というのが現状です。
それは、個人を軸にした働き方しか考えていないからではないか?というのが檜山先生の注目した問題点で、
「不均一で多様性に富む労働資源である」高齢者ですが、ICTを通じて彼らの個々の力を結集し、「モザイク型就労」を可能にすることに挑戦されています。(→GBER)
(メンバーシップ型からジョブ型の就労へ)
モザイク型就労
モザイク型就労には3つの軸があります。
時間・空間・スキルです。
これを全て1人でクリアしなければならないのが、従来の就労の仕方ですが
GBERでは複数人でクリアすればOKです。
それぞれ空いている時間で、生活圏内(またはICTにより時空を超えて)で、それぞれ得意なことを掛け合わせて就労します。
GBER
檜山先生を中心として開発されたサービスであるGBER(ジーバー)
「UBERみたいですねってよく言われます」と仰っていましたが、私はそれよりも先に「爺婆」が頭に浮かびました…w
GBERでは、個人の
Schedule(参加したい予定)×Location(生活圏内)×Interest(興味関心)
を基に、マッチングをします。
2016年4月~2020年3月に柏市で運用しており、
次に熊本での運用(熊本版GBER。Volunteer×Supply×Skill)
今後、東京都世田谷区、八王子市、福井県での導入が予定されているとのこと!
テクノロジーの社会実装
講義後半で先生がおっしゃっていたことで印象的だったこと。
テクノロジーを発展させるだけでは、社会でその機能を作動させることは難しい。
社会実装をさせなければならない。
例えば、多くの高齢者にとって、GBERのようなプラットフォームは参画に壁があるのが事実です。スマホやPCが使えない、どんな仕事があるのか分からないなど。
社会の在り様とテクノロジーを上手く融合させていかなければなりません。
現実的課題
課題として、シニア向けの仕事は発掘が必要であるとのお話もありました。
高齢者側からしてみれば「どんな仕事・地域活動があるのか分からない」
受け入れ側としては「どんなシニア人材がいるのか分からない」
双方の間に壁があると。
この間の壁を解決するためには、オンラインだけではなくオフラインでのアプローチも必要だとのことでした。
現役世代の負担軽減
高齢者には、労働時間や場所の制約がありますが、強みもあります。
経験と知見の広さです。
そこで、現役世代に対しての「サポートタスク」「アドバイスタスク」を通して、現役世代が目指すキャリア形成に必要な経験とスキルをアドバイスしてもらうという方法もあるとのことでした。
私もメンターを欲している日々なので、先輩シニアの方がメンターになってくれたら心強いかも。
人と仕事、社会を繋ぐテクノロジー
先生の実践の中で、高齢者向け施設でのVR体験の例がありました。
普段座ってばかりであまり動かない高齢者の方が、VRを付けると、辺りを見回したりするために自然と立ち上がって歩き出したりするみたいです。
普段動かない方が急に動くので、施設の職員の方が慌てている場面もありました。笑
また、思い出の場所にVRを使って訪れる体験をすることで、昔を思い出します。これは認知機能を向上させるための治療法の一つである、回想法にも繋がるらしいです。
そして、驚いたのは
そのVRのコンテンツを作成するのが元気シニアの方だということ!
旅行先で撮影したり、編集したりしているそうです。
檜山先生の講義での最後の言葉
「人の仕事を奪うテクノロジーではなく、人と仕事、社会を繋ぐテクノロジー」
がとても心に残っています。
「人を理解し人をつなげるロボティクス」
最後の講義はニューロンインテリジェンス国際研究機構 特任教授の長井先生によるものでした。
長井先生の研究は「ロボットを創ることで人を知る(認知発達ロボティクス)」というものです。
人と人がつながる仕組みを明らかにするロボット研究
AIがちょっとしたブームになっていますが(今はもう落ち着いたかな)
人を模したロボットを創るときには、人の脳の仕組みを考えなければなりません。
その研究を通して、
1.他者とつながる能力はどのように発達するのか?脳の仕組みは?
2.なぜ発達障害者は他者とつながるのことに困難を抱えるのか?
この2つを明らかにしていこうというのが、先生の研究です。
子どもは自発的に人を助ける
ドイツでの研究結果でこんなものがあります。
子ども(歩けるようになったばかりくらい)の前で、大人が困っている様子を演出します。
困っている様子というのは、例えば「沢山の荷物を棚に入れたいが、荷物を持つ手がふさがっていて、棚の扉を開けられない」「作業中に洗濯ばさみを落としてしまう」といった場面です。
このとき、大人は子どもの方を向いたり、助けを求めたりはしません。
実験結果は、子どもは自発的に人を助けるというものでした。
困っていることに気づいた子どもは、頼まなくても棚の扉を開けてくれたり、洗濯ばさみを拾って渡してくれたりします。
困りごとが連続的に起きる場合も同様で、お礼やご褒美を貰わなくても、子どもは助けてくれます。
ここでポイントなのが、いつから人助けをするようになるのか?ということです。
他者を理解するためには自分の経験が大切
ここは少し複雑な話になるのでざっくりと…
人の知能を支える仕組みとして、「"予測信号"と"感覚信号"が統合して知覚となる」というものがあります。
予測信号は、過去の経験や知識を動員して、目の前の事象に対して予測をする脳の信号です。
感覚信号は、自分の運動や感覚の情報から、目の前の事象に対する入力値として生成される脳の信号です。
つまり、自分の過去の経験や知識のDBから得た情報と、現在の自分の運動や、感覚によって得た情報が合わさって、目の前の事象に対する認識が形成されるということです(と解釈しました)。
先ほどの子どもの人助けの例でいうと、その子どもが同様に困ったり、困った人を見た経験がなければ、この予測信号は正しく形成されづらくなり、目の前の人が困っていて、自分が助けるべきだという認識には至らないということです。
ロボットが(自発的に)人を助けることは可能か?
この「予測信号」と「感覚信号」を統合して人間の脳を模したロボットを創るのが先生の研究です。
ロボットに予測信号となる経験や知識を学習させた場合と、させなかった場合に、知覚がどれくらい正確になるかという実験がありました。
結果は、学習をさせたほうが、知覚が正確になりやすいというものでした。
実際に、人助けをしている(ように見える)ロボットの映像も見ました。
こうやって人型ロボットの精度が上がっていくんだな…と、最近読んだ平野啓一郎さんの新作「本心」を思い出しました…(本心のこともまた後日ブログに書きたい)
自閉(スペクトラム)症の対人コミュニケーションの困難さの原因は
自閉(スペクトラム)症の特徴として以下の2点があります。
1.対人コミュニケーションの難しさ
2.感覚過敏や感覚鈍麻など、知覚の非定型性
先ほどの知覚の形成の例を思い出してほしいのですが
感覚過敏であったり、鈍麻であったりすることによって、感覚信号の強度が強くなってしまうとどうなるか…知覚が予測よりも感覚寄りになるわけです。
これは逆も然りで、予測が強いと感覚とのバランスも崩れるということです。
発達障害を持つ子の特徴として、お絵かきをする際に、全体よりもより局所的な情報に注目しがちというのがあります。
例えば、家を描くときは大体の人が輪郭とかから描くと思うのですが、局所的な情報に注目する彼らは、窓から描いたりするわけです。
お手本の絵のように描けないという例もあります。パーツごとに並べて描いてしまったりします。(これはケーキの切れない非行少年たちの症例を思い出しました)
(一方で、サヴァン症候群のように、プロのような絵を描く子もいます。)
ロボットにお絵かきをさせてみた実験がありました。
予測信号の強弱によって、どのような差が表れるのか、というものです。
結果は、予測信号が強いと、ご認識をして描いてしまうことがあり、
予測信号が弱いと、構造化されていないぐちゃぐちゃな絵を描いてしまうというものでした。
これは長井先生の記事がありました。
まとめ・思ったこと
一つは、安心したという感想です。
AIの台頭だとか、超高齢化社会だとか、公教育の崩壊だとかで、私個人としては、現在や将来の日本に対する不安要素を多く感じていたのですが、一方でこうして社会を良くしていくという研究が進められているんだという事実を知り、ホッとしました。
そして、先生方も強調されていましたが、
区別することと、分かった気になってしまうことは危険であるということです。
インクルーシブ教育においても、発達障害においても、その背景には個人の多様性があり、それは連続的であるという事実があります。
「連続的である」ということが重要です。
なので、例えば発達障害においては、どこからが発達障害で、どこまでは発達障害ではないという線引きは本来できないのです。(医師による発達障害の診断については、診断法を変えようと働きかけているそうです。)
それなのに、教員には「発達障害とはこうである!」というステレオタイプを知識として習得させて、対応させているのが現実です。
連続性があるものに対して無理やり線引きをしようとしているのが実情です。
あとは、長井先生の研究によって創られた「障害を持つ人の視点が体験できるVR」のようなものがあるらしく、「ぜひ体験させてください!」みたいな人が多いらしいのです。
それに対して「分かった気になってはいけない」と警鐘を鳴らしていました。
表面的な理解ではなく、その背景にあるものを理解しなければ「発達障害を持つ人にはこうやって世界が見えてるのねー」「私とは違う」で終わってしまう。それは危険です。
分断を生み出さないように使い方を気を付けなければならない
これは、檜山先生も長井先生も仰っていました。
テクノロジーの発達によって、今回のような便利なツールが創られていくわけですが、マジョリティとマイノリティの心理的距離を広げないように、使い方に注意しなければなりません。